やよせんだいありー

2014年に日本から逃亡(現実逃避)。半年で帰るはずが、まさかの国際結婚。「Excuse me, Thank you, Sorry」の三つの単語しか知らなかった私がどう生活してきたかの奮闘日記

自己紹介

みなさんはじめまして。やよせんと申します。


2014年に現実逃避を決意し、6年間勤めていた会社を辞めシドニーにやってきて早3年。


まずは軽く自己紹介がてらだらだら書かせてもらいます。


名前:やよせん
年齢:27歳


中学時代はバレーボール(部活)と友達と遊ぶことに夢中で授業なんか寝てるか喋るかばっくれるか。
まぁよくある話ですね。漫画の世界に憧れ屋上で寝たりもしましたが少し怖かったのを覚えています。(要はチキンです、はい)


高校なんかさらさら行く気もなく、勉強どころかバレーボールもやりたくなくなってしまい、当時偏差値40以下だった私はいける公立高校はないと学校の先生に言われ、急遽入った塾での模試テスト(市全体で行われた)ではワースト2位。むしろ最後の一人に怒りを覚えました。なんなら一番最後がよかったと。なんてね。笑


ところが中学の最後の大会後(総体って言うんでしたっけ?)である2校の高校からお声掛けを頂いて(その頃、メンバーには入れなかったものの、一応、市選抜の一員だったのです)ある公立高校に進学が決まったのです。その頃のその高校は偏差値50前後。母親に高校は出てほしいと頼まれ入学。(なんてえらそうな。。。笑)周りは勉強についていけるのかと心配してくれましたがそんなのお構いなしでした。


なんだかんだ無事に三年間高校生活を終え、みんなは大学受験や就職活動に忙しい中、私には将来の夢など特になく、先生に「必ず受かる就職先はありませんか?」と聞いてみたところ、毎年1人か2人、雇用してくれる企業があるとのこと。これをきいて受けないわけにはいきません。面接に行きました。グループ面接で6人ほど高校生が居たのを覚えています。


面接官(多分、専務だった):「なぜうちの企業を希望してくれたのかな?順番に話してくれる?」


みんな練習したんでしょうね、緊張しながらもまともに答えております。
もちろん私は何も考えてませんでした。(ちーん)
そして私の番。


私「~~。(何を言ったか覚えてないです、すみません)とにかく外
資系のお仕事に興味があります!」


一通り、高校生の志願理由を聞き終えた後に面接官が言った最初のひとこと

面接官:「うん…ありがとう。うん…でもね、うちは外資系じゃないんだけど…。」



ლ(◉◞౪◟◉ )ლ ???



終わったと思いました。その後の記憶は一切ございません。笑


しかしね~なぜか内定頂いて、その後6年間お世話になったんです。


高校とその企業の信頼がすごかったのか、本当に今まで運と他力でしか生きてこなかったんですね~はい。


さて、次回は日本から来る時にどうやって家を決めたか、いくらお金を用意したかなど
詳しく書いていきたいと思います。


それでは、またのちほど。


やよせん




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