やよせんだいありー

2014年に日本から逃亡(現実逃避)。半年で帰るはずが、まさかの国際結婚。「Excuse me, Thank you, Sorry」の三つの単語しか知らなかった私がどう生活してきたかの奮闘日記

ファーム探し


こんにちは、やよせんです。


さて、ファームについてですが、私の周りでみんな口を揃えて言ってたのは中国系、日系…要はアジア系のファームは辞めたほうがいいということでした。
あとはベリー系。こちらも歩合給なのであんまり稼げない上に結構つらいらしいです。


私は一度日系のレモンファームに応募しましたが、連絡を取った女の人もあんまりいい感じではなかったので、失礼ですが私は途中からぶっちして連絡来ても無視してました。笑


さて、その頃、ルームシェアしていた女の子(この子と一緒にファームに行きました)の友達の友達(遠いですね)がケアンズのバナナファームで働いていると聞き、紹介してもらいました。
話を聞いてみると時給制(22ドルくらい)で週5、オーストラリア人のオーナーということでした。
しかもそのファームの近くのバッパーまで紹介して頂きました。
こればかりは運がよかったとしか言えません、何にも参考にならず、すみません。
でもこんなこともあるよってな感じで聞いてください。


ただ、こっからが問題で、一緒にファームに行こうと思っていた女の子は英語は聞き取れるが話せない感じだったんですね。なので私が連絡するしかなかったのです。
でも私もやっと一般英語の3ヵ月が終わったばかり。。。
電話は絶対に聞き取れないと思い、テキストでメールを送りました。
すると結構すぐ返事がきて(今思えばそのオーナーがバッパーを教えてくれたのかも)いつから始められるかくらいしか聞かれなくて思っていたより簡単に決まりました。
日にちを決めた後は、飛行機(シドニーからケアンズ)とケアンズから3時間ブリスベンのほうへ行く大型バスを予約して、(今ではよくあんなところ行けたなって自分でも感心するくらいです。笑)迷わず着くことができました。


実際働いたのは12月初めから3月までのきっかり3か月(カレンダー上の)クリスマスも年末も4日間ずつ休みがありましたが、ちゃんとセカンドビザの申請もできたし、ビザも3時間くらいでおりました。
バッパーの周りにはワニが潜んでる茶色いビーチとスーパーが1件、歩いて20分くらいのところに酒屋と図書館しかなかったのでお金を使う機会もなくこの期間で5,000ドルたまりました。
…と言っても4月に日本に一か月帰り、このお金はすべて使ってしまいましたが。。。笑


お金、貯められないんですね。。。苦笑


結論を言うと、人と人の繋がりってどこであるかわかりません。
いろんな人と積極的にコミュニケーションとってみて、定期的に話したりごはんしたり。。その時、その時の出会いを大切にしてもらいたいと思います。(いろんな意味で)
そうすると困ってるときに仕事を紹介してもらえたり、なかなかできない体験をさせてもらえたりもします。
仕事に関していえば紹介してもらえたらほぼ100%、面接は適当でも雇ってもらえます。


早いですが、これでオーストラリア1年目が終わります。


やよせん

語学学校


英語を勉強する上でいろんなやり方があると思いますが
私のようにまじで中学、高校でもろくに勉強せず自信がないってひとはまず一般英語から勉強するのがいいと思います。


TOEICやIELTSはほど遠いと考えてもらっていいでしょう。
TOEICは私はやったことありませんが、IELTSはまず絶望的です。
ケンブリッジもある程度レベルがないと勉強できませんからね。


さて、私は一番最初、3か月の一般英語コースを申し込みました。
その時は日本円で支払ったのですがだいたい35万くらいだったと思います。
朝9-13時まで。午後は引き続きバイトをしてました。(前回お話したキッチンハントです)


まず、学校決めるのにシドニーにあるエージェントを友達から紹介してもらい、そこに行ってみました。とても優しい日本人2人の女性が居て学校を探していることを告げると条件を聞かれました。
学校側の条件ではなく私の条件です。これにはちょっとびっくりしました。こんなことまでしてくれるのかと。
要望はいろいろ聞いてくれます。
予算、英語レベル、環境、場所などなど。
私は安めで、できれば家から近い場所で、あとは日本人が少ないところと条件を出しました。
その時は、新しく開校した学校も何か所かあり、結果4つの学校に見学に行きました。
実際に行ってみてここがいいな、自分に合ってるなって場所を見つけてほしいというエージェント側からのお気遣いでした。
本当は5つの学校に見学に行く予定でしたが4つ目で私は「ここだ!」と思ってしまったので即決したのです。


もちろんクラスはビギナー。でも本当に日本人が一人もいなくて、韓国人のきれいな女の子が居たのですがなんとそのこは日本に10年住んでたということで日本語がぺらぺらでした。他にも数名少しの日本語を話す韓国人が居ましたが他のみんなも大変フレンドリーでよく一緒に居た友達は韓国人2人とイタリア人、ブラジル人、タイ人の5人でした。
入った当初、先生が説明するも全く理解できず、この韓国人の女の子に訳してもらって最初の1か月過ごしました。2週間くらいすると、耳も慣れてきてだいたいこんな感じかな?って不確かだけど状況等で判断できるようになります。
宿題も毎日だされ、半端ない量だったのですが欠かさず毎日やりました。その時の私の一日のスケジュールは


8時 起床
9~13時 学校
14~23時 バイト
23時~3時am 夜食 宿題 個人の英語の勉強
3時半am 就寝


って感じでした。親切にしてくれる友達に自分の意思を伝えたかったのと、ウェイトレスになる当時の目標をまっとうするため一番勉強した時期かもしれません。
ハウスメートには勉強なんかしたって無駄だって言われたこともあって学校の先生に泣きながら伝えたこともあります。でも勉強は絶対に無駄になりません。容量が悪いことはあっても、無駄はありません。それでもいいと私は思います。


最終的にビギナーからインターミディエイト(最後の2週間だけだけど)まで上がりました。


ここで一回の学生生活を終えます。


このあと、セカンドワーホリをするためにファームを探し始めました。
それはまた次回で。


やよせん

アルバイト探し


おはようございます。


前回に引き続き今度はアルバイトのことを書いていこうと思います。


さて、私は何を思ったのか、シドニーでは仕事なんか簡単に見つかると思っていました。
なぜかと言うと求人が日本語でチアーズと日豪プレスにたくさん載っていたからです。
キッチンハントでならなんとか働けるだろうと思って5~6か所くらい面接に行きました。しかし、実際行ってみるともうキッチンハントは違う人で決まっていて今はウェイトレスがほしいんだよねと言われたり、キッチンとウェイトレスどっちもやってほしいと言われたり。。。
日本食レストランは人の入れ替わりが本当に激しいので古い投稿はあんまり期待しないほうがいいです。。笑
そんなこんなで一週間ほど彷徨ってやっと1件雇用してくれるところが見つかりました!


が!!!


無知な私。。。そのレストランは「厳しい」「人がすぐ辞める」で有名なレストランだったのです。名前と場所は言えませんが、確かに厳しいと言えば厳しい。でもまかないはおいしいし、アルバイトの人はいい人ばかりで可愛がってもらいました。
社員の人は問題ありな人もいましたが、まぁそれはどの職場でもよくある話ですよね。
2週間持てばすごいと言われましたが私は5か月続けました。(どや顔)
他にまた仕事を見つける元気がなかったのと、アルバイトのお姉さん方とはプライベートで飲む中になったのでまぁいいかってな感じになりました。


でもやっぱり人間は欲が出ますよね。
ホールで英語を話しながらにこにこしてる女の子みるといいな~って思っちゃったんです。キッチンハントってやること結構重労働だし、ミスったら怒られるしでちょっとその辺は不公平だなって思ってました。


まぁそんなこんなであっという間に半年がすぎて帰国の時期がやってきたのですね~。
帰りの飛行機のチケットはあるのでとりあえず日本に帰ろうとしたとき、今の旦那と出会いました。彼は子供の時にオーストラリアに引っ越してきて20年弱こっち暮らしです。
遊んでたら普通に恋に落ちました。笑
なぜコミュニケーションが取れたかって?それは彼が完璧ではないけど日本語が上手だったから。(今はぺらぺら過ぎて困ってます)
そして離れるのが寂しくなり、なんならもう少しオーストラリアで生活してみようと思って語学学校の申し込みを済まして、日本に一時帰国と言う形で帰りました。


次は語学学校(一般英語)の決め方について書こうと思います。


やよせん

ワーホリに向けての準備


こんにちは。やよせんです。


さて、今日はワーホリに向けて私がした準備を書いていこうと思います。


母には一人暮らしも反対されていたので海外生活なんて絶対に認めてもらえないと思った私はすべて勝手に黙ってちゃくちゃくと準備を始めました。


まず、ビザ申請。


エージェントを使うかとても悩みました。なんせビザ申請はすべて英語だったからです。
しかし、日本でエージェントを使うと20万ほどかかってしまうという情報を耳にし、ネットで調べてみると現地(シドニー)でエージェントを使えば無料だと書いてありました。
それじゃあと言うことで日本のエージェントを使うことを諦め、自分でネットでワーホリのビザ申請をしました。調べてみると日本語訳をしてくれてる人が結構いるんですね~助かりました。それをフォローして申請したら3時間くらいでビザがおりました。金額は当時420ドルくらいだったかなと思います。


次は家を決めなきゃいけないと思い、チアーズと日豪プレスのルームシェア募集の欄を毎日見て、多分20件くらい問い合わせの連絡をしました。
しかし、現地にまだ住んでいないからという理由でみなさんだいたい「シドニーについたら連絡ください」って感じでした。
当時はYHAなどのバッパーがあることも知らなかったし、ホテルで過ごすお金もなかったのでひたすらこの二つのサイトを見ていました。


そしてある日、1件だけ私の話を聞いてくれた大学生の日本人の女の子が居て、なんとか日本に居る間にシドニーで住む家を見つけることができました。
運が良かったですね。そして仕事の合間にグーグルマップでそこの最寄駅から家までの道を何度もみて、実際行ってみてびっくり!道は全く一緒で(そりゃそうだ)地図なしでその家までたどり着くことができました。(携帯はこの時SIMロックを外して持っていきましたがまだSIM買ってなかったので迷ってもマップ見れないという計画のなさw)


さて、今度はいくら持ってったのかというお話。
日本円で25万(飛行機代は別)握りしめて行きました。笑
語学学校に行く予定もなく、半年の往復チケットを買っていたのでアルバイトしてお金稼げばいいやって思ってたんです。
ちなみにこの日本円はすべてシドニーのエージェントで換金しました。
このアルバイト探しがまた大変だったんですよね~


このお話は次回で致します。


やよせん


自己紹介

みなさんはじめまして。やよせんと申します。


2014年に現実逃避を決意し、6年間勤めていた会社を辞めシドニーにやってきて早3年。


まずは軽く自己紹介がてらだらだら書かせてもらいます。


名前:やよせん
年齢:27歳


中学時代はバレーボール(部活)と友達と遊ぶことに夢中で授業なんか寝てるか喋るかばっくれるか。
まぁよくある話ですね。漫画の世界に憧れ屋上で寝たりもしましたが少し怖かったのを覚えています。(要はチキンです、はい)


高校なんかさらさら行く気もなく、勉強どころかバレーボールもやりたくなくなってしまい、当時偏差値40以下だった私はいける公立高校はないと学校の先生に言われ、急遽入った塾での模試テスト(市全体で行われた)ではワースト2位。むしろ最後の一人に怒りを覚えました。なんなら一番最後がよかったと。なんてね。笑


ところが中学の最後の大会後(総体って言うんでしたっけ?)である2校の高校からお声掛けを頂いて(その頃、メンバーには入れなかったものの、一応、市選抜の一員だったのです)ある公立高校に進学が決まったのです。その頃のその高校は偏差値50前後。母親に高校は出てほしいと頼まれ入学。(なんてえらそうな。。。笑)周りは勉強についていけるのかと心配してくれましたがそんなのお構いなしでした。


なんだかんだ無事に三年間高校生活を終え、みんなは大学受験や就職活動に忙しい中、私には将来の夢など特になく、先生に「必ず受かる就職先はありませんか?」と聞いてみたところ、毎年1人か2人、雇用してくれる企業があるとのこと。これをきいて受けないわけにはいきません。面接に行きました。グループ面接で6人ほど高校生が居たのを覚えています。


面接官(多分、専務だった):「なぜうちの企業を希望してくれたのかな?順番に話してくれる?」


みんな練習したんでしょうね、緊張しながらもまともに答えております。
もちろん私は何も考えてませんでした。(ちーん)
そして私の番。


私「~~。(何を言ったか覚えてないです、すみません)とにかく外
資系のお仕事に興味があります!」


一通り、高校生の志願理由を聞き終えた後に面接官が言った最初のひとこと

面接官:「うん…ありがとう。うん…でもね、うちは外資系じゃないんだけど…。」



ლ(◉◞౪◟◉ )ლ ???



終わったと思いました。その後の記憶は一切ございません。笑


しかしね~なぜか内定頂いて、その後6年間お世話になったんです。


高校とその企業の信頼がすごかったのか、本当に今まで運と他力でしか生きてこなかったんですね~はい。


さて、次回は日本から来る時にどうやって家を決めたか、いくらお金を用意したかなど
詳しく書いていきたいと思います。


それでは、またのちほど。


やよせん